芸術の森 マフィー・コンセプト

はじめに


私たちが
この地球に「ヒト」として産み落とされ、人間として生きていく以上
すべての人に、生かされ生きる権利があるように
べての人に、人間の一員としての役割を果たす義務が与えられていると思います。

いわゆる、民族・宗教・身分・イデオロギーなどの相対的差異で
他者や自然を差別し排斥することは、
人間としての義務でも権利でもないと思います。

私たち人間は、誰でも愚かさや弱さを内包しています。
しかし、それを克服することは可能なことだと思います。

なぜなら、人間には理想や希望を産み出す力が備わっているからです。
自然に叡智があるのは当り前のことですが
人間も自然を構成する一員である以上
人間にしか産み出せない叡智があると思います。

そして、私たち一人一人には
人間であるが故の叡智を働かせ、ヒトとして人間として
自然との共存・人間同士の共生を促す哲学を産み出す役割があります。

本来芸術は
すべての人が、その役割を果たすための有効な手段として
存在しなければ意味がありません。

芸術が
哲学の表現手段としての
本来の役割を取り戻すために
「芸術の森マフィー」がその一助になればと
「哲学舎という名の美術館」を開館させました。

みなさまの
ご参加ご支援をお待ち申し上げております。



芸術の森マフィー 代表   山田正明








2000年に書いた設立趣旨です

21世紀を迎え、私たち人類が、地球の一員として存在しているという現実の意味と、崩壊しつつある地球環境を、責任を持って護る立場にある人間としての役割が、いま、世界規模で真剣に問い直されています。
20世紀の科学文明やテクノロジーの驚異的な発展が、日本をはじめ、先進諸国の人々に恩恵を与え、特に物質的な豊かさで人々を満足させてきたことは否めないことでしょう。

しかし、その反面、世界的規模の戦争や自然破壊の繰り返し、市場経済優先による貧富の格差、都市の人口過密化などによる社会問題の続発など、いわゆる、個人や集団、国家によるエゴイズムの追求が、いまや、自然環境や人類の存続にとって取り返しのつかないほどの諸問題を引き起こしていることも事実です。
21世紀は、これらの問題を、地球規模で世界中の人々が協力し合って取り組んでいかなければ解決しないところまで追いやられそうです。日本に住む私たち一人一人も、地球を構成する一員として、それらに無関心でいるわけにはまいりません。

第2次大戦後、半世紀あまりを経て、日本は世界でも先例のない経済的な高度成長を遂げてきました。
また戦後の民主主義の導入も、個人の尊重や主権在民という概念を確立させつつあることは確かです。しかし、現実はあまりにも自由をはきちがえた利己的な個人優先主義や、拝金的な市場経済が蔓延しています。
結果、あの象徴的なバブル経済とその崩壊によるいろいろなツケを、私たちは、まだまだ長期に亘って払い続けなければなりません。
確かに、欲望の拡大と充足に向けた市場経済の発展が、多くの人々を一時的に満足させたことは事実でしょう。
しかし、本来数値では置き換えることの出来ない人間そのものの価値や、芸術などの精神文化を、市場経済の尺度や金銭的尺度に巻き込んでしまった結果、モラルをはじめ、人権や生命というものさえも軽視する風潮が高まってしまったことは、私たち一人一人が反省しなければ
なりません。

私たち日本の現実は、その流れの中で引き起こされる事件や、こころや精神の荒廃が、とても大きな社会問題になっています。
また、高度情報化社会の到来を前にして、未来の日本や世界を引き継いでいく若い人たちに、「人間として生きていく上で、何をどのように考え、何をどのように実践していったらよいの」かという、有効的なモラルや価値、哲学の提案を、大人である私たちが協力して考え、提案し、実践するときが来ています。

社会の未来は、いつの時代でも、まず個人が「人間とは何か」ということを考えることから始まります。
そして、それは「人間以外の自然とは何か」「社会とは何か」、ひいては「地球になぜ人間が存在するのか」などを考えることに、必然的に結びついていきます。
つまり、「人間とは何か」を考えていくことは、突き詰めれば普遍的な意識や普遍的な価値へと連なるものを産み出す行為だということです。
現代の世界や日本に、いま一番求められていることは、おそらく人間の誰もが持っているこの普遍的な意識とは何かということを、探求することではないかと思われます。そして、そのような普遍的な考え方を産み出していくために、私たちが具体的なソフトを発案し、それを生かすためのハードやシステムを構築していくことは、人類永遠のテーマに寄与するといっても過言ではありません。

現実的には、私たちが社会に向かって一人一人の力で考え貢献できることは、ほんの小さなことでしかありません。しかし、その一人一人が考えたソフトやハードの中で、「私という個人と対置する他人という個人」の存在を素直に認めることや、人類や自然が住む地球という生命体の存在を意識すること、また、社会での公共性(パブリックモラル)とは何かを学ぶことや、人間に共通のモラルとは何であろうかということなどを提案していくことは、一人一人の力でも実践可能だと考えられます。

MAFYでは、その提案を形に表していくための方法論の一つに「芸術」があると考えています。

「芸術とは何か」というテーマは、いつの時代でも、世界中で議論されつづけています。
残念ながら、日本では、今日でも「芸術」という存在がとても難しく近寄りがたいものだと多くの人に思い込まれています。
おそらくその原因は、「芸術」の価値が権威的な立場で語られる事が多く、芸術作品の持つ精神性よりも感覚的な技術論が横行し、作品が市場経済や権力と結びついて、金銭的価値で評価されるようになってしまった結果だと考えられます。

しかし、「芸術」とは本来、なにも特別な難しいものでも差別的なものでもないのです。本当は、誰にでも出来る自己表現の一方法なのです。わかりやすく云えば、「芸術」とは、美術や音楽などの手段を借りた人間の精神の一つの表現なのです。
もちろんその精神とは、「普遍的な精神・意識」のことをいうのです。そして、いうまでもなく「普遍的な精神・意識」というものは、すべての人間の中に内在しているものなのです。
人間にとって重要なことは、自分の精神の中にあるその普遍的な意識に気づくかどうかということだと思います。

ではどうしたら、私たちはそれに気づくことができるのでしょうか。
それは、自然の摂理に学び、芸術作品に学ぶことです。本来、芸術には、作品と向き合う人々に、それを気づかせるための大切な役割があるのですが、現在ある諸々の芸術が、そのような、「普遍的な精神・意識」を表現しているかどうかは、検証してみる必要があるかもしれません。

さて、MAFYでは、人間の精神に内在しているその「普遍的な精神・意識」というものを、「芸術の精神」と、言い換えることができるのではないかと考えています。そして、その「芸術の精神」は、自然の摂理と密接に関連しているのではないかと考えています。

近代、私たちが創り上げてきた、都市という人間本位の効率追求システムの時空間においては、自然の摂理に連動して意識化される、この「芸術の精神」を育てていくことが、いかに困難を伴うかはいうまでもありません。
現代における私たちが、その普遍的な「芸術の精神」を子供のころから育て、また自分の中でそれを意識化していくためには、あせらずに時間をかけ、謙虚に自然の法則に接し、自然の知恵から学びとるという方法が、一番有効ではないかとも考えています。

人間の歴史を振り返ってみても、民族の違いを超え、古代より、森や川によって多くの普遍的な文化が産まれ育っています。
幸いなことに、私たち日本には、現在もまだ67%の森林面積が存在しています。
未来の日本を考える上でも、現在あるこの森林を、「芸術の精神」を育てるために役立てることはとても重要で効果的なことだとMAFYは考えます。
あえていうならば、森林を構成する一本一本の樹木(他の植物や動物)にも、芸術の精神や意識があるのではないかといえます。
なぜなら、森は、山や川や動物たち、また、人間たちと助け合いながら生きてきたからです。また、人間も森を助けながら生きてきました。しかし、現実に目を向けてみれば、いま日本の多くの森たち、特に戦後に植林された森たちは、私たち人間の助けを必要としているといえます。

商品価値がないからといって、森に手を入れず放置したままでいることは、長い間森に育てられ恩恵を受けてきた人間として、あまりにも無責任というしかありません。なぜなら、そのような状況にあっても、森が意志を持って、自然の摂理に従い、現在も忍耐強く私たちを生かしつづけてくれているからです。
私たちは、その事実を再認識し、一人一人が真剣に森に感謝し、その意味を考え直し、反省する必要があると思います。

「芸術の森MAFY」は、その「森の精神」といま一度静かに向き合い、森にとっていま私たちが出来ることとは何かを学び直し、森と助け合う文化を真剣に考え、知恵や力を出しあって、未来のために行動すべきときが来ていると考えています。
そしてまた、地球を構成する人類の一員としても、「森の精神」から、謙虚に生きることの意味を学び直し、森に育てられてきたことへの意味を、
感謝の念をもって再確認し、私たちの中にある「芸術の精神」を育て、森たちに恩返しをするべきときが来ているといっても過言ではないと考えています。

最後に、このような本来誰にでも表現可能な「芸術」の存在が、いま、人類や自然や地球にとって、特に、私たち日本の現実にとって、緊急に
必要とされているのだということを、「芸術の森MAFY」の創造を通して社会に提案していきたいと思います。

以上のような考えの下、MAFYが率先して「芸術の森MAFY」構想を実現し、「芸術の精神」を育てていくためにリーダーシップを発揮していくことは、世界の精神文化にとっても、とても重大な役割を果たしていくものだと信じています。
どうぞ、みなさまのご理解・ご協力・ご指導を心よりお願い申し上げます。

                                    
            2000/1/1